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日記
2020年06月10日 11:57
十字町ヒストリア 小田原の歴史マイスター 近代史編
小田原の十字町界隈に居住した著名人
「明治維新で小田原藩が消滅」■森有礼(初代文部大臣)……新久(荒久、現在の南町)に居住しました。のちに別荘の建物は藤館という名の旅館として使用されました。
■野村靖(神奈川県令・県知事)……小田原の御幸が浜に居住しました。貴族院議員として活動して、内務大臣を務めました。
■伊藤博文(首相)……最初の妻は野村の妹スミ子でした。
伊藤は滄浪閣を建築して、居住しました。
滄浪閣で明治民法の草案を作成して、のちにスミ子と離婚しました。
伊藤はその後、九州の芸者梅子と結婚しました。
■伊藤梅子……日本で最初のファーストレディでした。
滄浪閣跡地には、伊藤博文の胸像及び民法発祥の地の碑が残されています。
■小田原に住まわれた皇族……明治34年(1901)に小田原城の二の丸御殿跡(現二の丸広場)に御用邸が建設されて、閑院宮様たちは小田原に住まわれました。
■益田孝(旧三井物産創設者)……小田原の土地を4万坪購入して、板橋の地に別邸の掃雲台を建設するなど、茶人鈍翁としての活動を行いました。また、各種事業を行いました。
■山縣有朋(首相)……益田は山縣有朋に土地を提供して、山縣は別荘の古稀庵を建築しました。
のちに、山縣は益田の妻である多喜の妹サダを後妻としています。
また、益田の実の妹の永井繁子は瓜生外吉海軍大将の妻でした。
永井繁子は岩倉使節団でピアノを勉強し、東京音楽学校で教職に就いています。
マイスターブログ管理者
その道の巨匠にお話を伺うマイスターブログ、「十字町ヒストリア」のご担当者様にご寄稿いただきました。
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