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日記
2022年07月04日 16:49
小田原に居住した文学者たちのエピソード
明治から昭和初期の小田原は、別荘地として人気を博しました。とくに、小田原の十字町界隈(小田原市南町)には、政治家、官僚、財界人、文学者、画家、音楽家など、様々な職業や立場の人々が居住していたという記録が残っています。今回は、小田原に居住した文学者たちをご紹介いたします。
■北原白秋
詩人、童謡作家、歌人の北原白秋(1885年-1942年)は、一時期、小田原市城山に居住していました。小田原に居住した約8年の間に、次々と素晴らしい童謡作品を世に送り出しています。
例えば、童謡「あわて床屋」は小田原で生まれました。カニの床屋と客のウサギのやりとりはユーモアに満ちていて、独特なオノマトペを用いた歌詞が大変楽しい作品です。当時、小田原市本町にあった床屋がモデルだといわれています。
■谷崎潤一郎
小説家の谷崎潤一郎(1886年-1965年)は、大正時代の数年間、十字町(小田原市南町)で過ごしました。
十字町の花園幼稚園には、谷崎潤一郎の長女鮎子や北原白秋の長男陸太郎が通っていたそうです。谷崎の長女鮎子は、大正9年4月に入園したという資料が残っています。
小田原に居住した文学者一覧
村井弦斎……作家・食道楽を連載
斎藤緑雨……作家 ”山よし海よし天気よし"
小杉天外……作家 <魔風恋風>
谷崎潤一郎……作家 <細雪・痴人の愛 >
佐藤春夫……詩人 <秋刀魚の歌>
北原白秋……詩人・みみづくの家
三好達治……詩人<春の岬・艸千里>
坂口安吾……作家<白痴・風博士>
福田正夫……詩人<民衆・焔・農民の歌>
岸田国士……劇作家・演出家・文学座の創設
薮田義雄……詩人 白秋の弟子 <夏鶯・岸花>
川崎長太郎……作家<抹香町・裸木・もぐら随筆>
北村透谷……作家<楚囚の詩・厭世詩家と女性>
井上康文……詩人<民衆・手・愛子詩集・愛の翼>
永井荷風……作家<墨東奇譚・腕くらべ・ふらんす物語>
北原武夫……作家<妻・魔に憑かれて・情人>
坂本重剛(紅蓮洞)……雑文家 <文壇立志篇・文壇垣硯き>
北条秀司……劇作家<演劇太平記・多くの戯曲集>
牧野信一……作家 <父を売る子・鬼涙村・酒盗人>
正岡 容……作家・落語・寄席研究家
河野桐谷……劇作家・美術評論家 白秋と句会を開く
折口信夫……釈迢空、詩人・歌人・国文学者
河野桐谷……作家・評論家
益田太郎冠者……男爵・劇作家・実業家・音楽家・貴族院議員・コロッケの歌
厳谷小波……童話作家『桃太郎』や『花咲爺』などの民話の再生
深沢正策……翻訳家 (パールバック大地)
田辺一雄……出版業「療養生活」 「最新自然療法指導書」
長谷川如是閑……評論家 <我等・日本的生活>
江木文彦……評論家 <古事記 7つの旅>
大木惇夫……詩人<風・光・木の葉、多くの愛国詩>日本の戦争文学の最高峰
岡野知十……俳人 『半面』を創刊
尾崎一雄……作家<暢気眼鏡で芥川賞>
鈴木 貫助……作家(早川) 三好達治、川田順に師事 南果集・晩花
中河与一……評論家『刺繍せられた野菜』『氷る舞踏場』
小川治平……漫画家 『やまと新聞』に入社して漫画を描いた
宮本百合子……作家 プロレタリア作家・宮本顕治の妻
辻 潤……日本の翻訳家・思想家
中田信子……詩人
市川健次……歌人(国府津)
岩瀬百合子……歌人(鴨宮)
十字町ヒストリアでは、土曜、日曜限定でインストラクターが資料などを用いて、歴史を説明しています。当団体は、小田原の十字町界隈(小田原市南町)の歴史的記録の保護・研究、展示、研究結果の説明などを行っており、主に小田原の近代史を中心に取り扱っています。
小田原の近代史についてさらに知りたい方は、ぜひ「十字町ヒストリア」へお越しください。
日記
2021年05月24日 11:56
十字町ヒストリア
小田原の十字町界隈に居住した著名人
「長州藩つながり」明治維新以降、小田原には長州出身者が多く住んでいた
伊藤博文は現小田原駅前のお城通り付近の一角に邸宅を建設した。それは父・十蔵が療養先として利用できるようにしたものだった。また、博文自身も御幸の浜方面に別邸「滄浪閣」をかまえた。
小田原は相模湾に面しており、温暖な気候であることも多くの人が移り住んだ要因だったようだ。
日記
2020年06月10日 11:57
十字町ヒストリア 小田原の歴史マイスター 近代史編
小田原の十字町界隈に居住した著名人
「明治維新で小田原藩が消滅」■森有礼(初代文部大臣)……新久(荒久、現在の南町)に居住しました。のちに別荘の建物は藤館という名の旅館として使用されました。
■野村靖(神奈川県令・県知事)……小田原の御幸が浜に居住しました。貴族院議員として活動して、内務大臣を務めました。
■伊藤博文(首相)……最初の妻は野村の妹スミ子でした。
伊藤は滄浪閣を建築して、居住しました。
滄浪閣で明治民法の草案を作成して、のちにスミ子と離婚しました。
伊藤はその後、九州の芸者梅子と結婚しました。
■伊藤梅子……日本で最初のファーストレディでした。
滄浪閣跡地には、伊藤博文の胸像及び民法発祥の地の碑が残されています。
■小田原に住まわれた皇族……明治34年(1901)に小田原城の二の丸御殿跡(現二の丸広場)に御用邸が建設されて、閑院宮様たちは小田原に住まわれました。
■益田孝(旧三井物産創設者)……小田原の土地を4万坪購入して、板橋の地に別邸の掃雲台を建設するなど、茶人鈍翁としての活動を行いました。また、各種事業を行いました。
■山縣有朋(首相)……益田は山縣有朋に土地を提供して、山縣は別荘の古稀庵を建築しました。
のちに、山縣は益田の妻である多喜の妹サダを後妻としています。
また、益田の実の妹の永井繁子は瓜生外吉海軍大将の妻でした。
永井繁子は岩倉使節団でピアノを勉強し、東京音楽学校で教職に就いています。
日記
2020年03月24日 16:03
十字町ヒストリア
十字町ヒストリアは2015年に作られた団体で、1896年ごろ設置された人力により運行する小田原~熱海間の鉄道「豆相人車鉄道(ずそうじんしゃてつどう)」の120年記念事業として開きました。
それまで100年、110年記念事業時には、人車鉄道のジオラマ展示や屋台を出してのイベント開催を行ってきましたが、徐々に商店会の担い手が少なくなり、これらのイベントは開催されなくなりました。120周年を迎え、何か形として残したい、このままにしておくのはあまりにも惜しいと考えていたとき、商店会のOBから1つの資料を託されました。
それが、十字町ヒストリアのある旧十字町地区(現小田原市南町界隈)に、多くの著名人、軍人、財界人、文学者達が居住していたという文献をとりまとめたものでした。
北原白秋や、司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」にも登場する秋山真之、電力王として名高い松永安左衛門、初代内閣総理大臣である伊藤博文、日本陸軍の基礎を築いたとされる山県有朋、と、その数100近く。
住んでいる人間がこれらを知らず、このままなすがままにしていれば、歴史の隅に追いやられてしまう。合わせて、人車鉄道や北条時代までを取り扱う、歴史を残し伝えていくことをしなければいけないと。
そこで、120周年記念として開かれたのが十字町ヒストリアです。
歴史的記録の保護・研究以外にも、研究結果の説明や、十字町の歴史についてなど、十字町ヒストリアでは土曜、日曜を限定公開日としてインストラクターが資料などを用いて説明をしています。
これから小田原の歴史について、いろいろお伝えしていきたいと思います。
マイスターブログ管理者
その道の巨匠にお話を伺うマイスターブログ、「十字町ヒストリア」のご担当者様にご寄稿いただきました。
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